補助記憶装置の歴史 ~教育委員会~

どもバスクリンです!

「コンピュータの決まり事は誰が作ったの?」をテーマにして書いていましたが、今回はリクエストの多かったハードウェアを中心にコンピュータの歴史を振り返りながら色々と考えていきたいと思います。

 

記憶装置の概念

記憶装置の登場は古く、ノイマン型コンピュータの時代まで遡ります。当時は機械に直接回路を作成して、データやプログラムを記憶させていました。

Aという計算をするプログラムを実行させるには、Aの機械をコンピュータに組み込んで実行、Bという計算をしたくなったらBの機械を作ってコンピュータに組み込む。そんな時代でした。これだと、アイデアが生まれてもすぐ答えを出すことは難しく、時間がかかります。そこで、データやプログラムを保存する考え方が登場しました。

記憶装置には、メモリのような主記憶装置と、ハードディスクのような補助記憶装置があります。今回は、その補助記憶装置の歴史を振り返りながら、なぜ今のようなパソコンになったのかを振り返ってみたいと思います。

記録媒体の王様「紙」

人間の歴史では、データを記録するのは、紙が一般的でした。コンピュータもデータやプログラムを「紙に書いておく」という考え方が生まれました。人間は文章を紙媒体に書いていたので、コンピュータもそれと同じことをさせようというアイデアです。

当時は紙に書かれた文字を読み取るスキャナーのようなものはありません。また、コンピュータは2進数を扱います。では、どうしていたのでしょうか?

答えは長い紙テープに決められた間隔で「穴」を開けて0と1を表現しました。

当時のプログラマーの仕事はプログラムの設計・実装をしたあと、長い紙テープに穴を空けてプログラムを保存していました。保存の速度は遅く、1秒間に英数字で10文字程度です。

長いテープを人間の目で見ていきます。これは相当疲れます。そこで、数ビット単位で穴を空けることで長さをコンパクトにしました。中央にある小さな点が、機械に読み込ませるための穴、その上下にデータの穴が開いています。

古臭いと思ってる方もいると思いますが、この紙テープはつい最近まで使われていました。今から20年くらい前、私が社会人になりたての頃は、まだこの紙テープを使ったことがある人が多くいました。紙テープ経験者の方に聞いた話ですが、当時のデバッグは、ハサミとテープだったらしいです。バグのあった部分をハサミで切り取って、修正したデータをテープで貼り付けていたらしいです。私は経験したことがないので、なんとも言えませんが、この当時のプログラマは大変だったと思います。

 

紙テープの弱点を克服したパンチカード

紙テープはデータの修復をする際、ハサミとテープが必須でした。当時は紙テープに出力するのも遅く、コンピュータは「電算室」にありました。一度にコンピュータを使うことができるのは1人だけで、一般企業だと申請してから使う運用でした。プログラムも事前に机上で設計して、打ち込む内容を書き出してからコンピュータで入力です。もし、間違っていてもすぐ修正することはできません。

そこでハサミとテープでデバッグをする方法が取られていましたが、人間なのでミスもありました。間違えた場所を切ったり、テープで張り付ける位置がズレて機械が読み込まなくなったり・・・。

そこで、紙テープをやめてカード形式にしました。

これをパンチカードと言います。上の写真、どこかで見たような気がしませんか?

テストとかで使われるマークシートのようですね。あれもカード式で答えの選択肢を黒く塗りつぶす方法です。カード式の記憶装置もそんなイメージです。1枚のカードに約80バイトのデータを格納することができます。80バイトを超える場合は何枚もカードを作って順番に読み込ませればOKです。

バグがあった場合も、そのカードだけ差し替えればOKです。今の時代だとノートのような感じですね。叔父が地下鉄で働いていたんですが、当時の地下鉄はこの紙テープと紙カードでコンピュータの制御をしていたらしいです。紙テープを読み込まなくなって、業者を呼んだら徹夜になったとか色々話が聞けました。

こんな便利になったパンチカードですが、弱点がありました。大きなプログラムになると、カードの数が数千枚になったそうです。そのカードをコンピュータに読み込ませるために電算室まで持って行ったりしていたそうですが、落としてしまったら大変です。

カードが順番通りになるように並び替えないといけません。カードに順番を示す番号を印字していたそうですが、急いでいる時は印字しなかったようです。。。

 

紙から磁気テープへ

紙テープ、紙カードの弱点を克服するために、新しい仕組みが必要でした。切らなくても書き換えができて、並び替える必要もない媒体が必要になってきました。メモリのような0と1を記憶できて、安価で大量のデータを保存できる仕組みです。

19世紀頃にテープに磁石を塗布して0と1を記憶させるアイデアが生まれました。それを第二次世界大戦中にドイツが音声の録音用の媒体として実用化することに成功しました。そして、コンピュータでも利用できないかアメリカで検討され、1950年に「磁気テープ」が誕生しました。ただし、この当時の磁気テープは高価だったため、プログラムのような書き換えが発生するものは磁気テープ、書き換える必要のないデータを保存するのは安価な紙テープなどの住み分けがされていました。

時代が進むと磁気テープの小型化、読み取り装置の規格化が進み「カセットテープ」が誕生しました。この頃から安価な(それでも数十万円する)パソコンが販売されるようになり、趣味で購入する人も増えていきました。パーソナルコンピュータです。

私もよく友達の家に遊びに行ってカセットテープのPCでゲームをした記憶があります。先日、京都で開かれたオープンソースカンファレンスで、子供のころ遊んでいた「信長の野望(初代)」を持ってこられた方がいらっしゃったので、懐かしくてつい起動してもらいましたが、起動するまで15分かかりました。

当時はそんなものだと思ってましたが、今のPCでは考えられないくらいの遅さです。画面も8色、日本語はほぼ半角カタカナのみ。今考えればすごいゲームで遊んでたなぁと実感です。

話は戻って、磁気テープの話になりますが、現在もDATと言われる磁気テープが活躍しています。これはクラウドやホスティングサービスのバックアップ媒体として利用されています。HDDや他の媒体に比べて安価な点と、バックアップ媒体なので頻繁に書き換えが発生しないため、バックグラウンドでバックアップを取るには最適な媒体となっています。

 

ついに登場!フロッピーディスクドライブ

高性能と思われた磁気テープにも弱点がありました。それは入出力の遅さです。新しいデータを読み込まないといけなくなった場合、カセットを巻き戻したり、早送りする必要がありました。

子供のころカセットテープのパソコンでシューティングゲームをしていましたが、ボスの前になると、カセットデッキが「キュルルルルルー」と豪快な音を立ててテープを巻き戻していました。巻き戻るまでの30秒くらいは、ジュースを飲んだり友達とおしゃべりしてボスが出てくるのを待っていました。

そこでテープのような長い媒体ではなく、色々な場所に素早くアクセスできる仕組みが必要になってきました。円形の盤にデータを書き込むと、好きな位置から再生可能なレコードというものがありました。フロッピーディスクはこのレコードの考え方を参考に、円形の記憶媒体を作りました。

円盤上にトラック、セクタという概念を盛り込んで、どこのデータにアクセスするのも素早くアクセスできるようにしました。この円形上の概念がHDDにも応用され、現在も使われています。

フロッピーディスクの発明者についてはドクター中松さんが有名ですが、当時はIBMやキヤノンも開発をしており、詳細については不透明な部分もあるので興味のある方は調べてみてください。

フロッピーディスクはサイズが3種類あって、8インチ、5.25インチ、3.5インチと徐々に小型化してきました。私が初めて買ったPCは3.5インチのフロッピーディスクが付いていました。当時はまだ3.5インチのフロッピーは種類が少なく、雑誌の付録は5.25インチが主流でした。それから2年後にPC98互換機を買うことになりましたが、3.5インチだけでなく5.25インチも両方使えるPCを買いました。

FDDの容量は3.5インチで約1.4MBでした。今のGBやTBの時代と比べると容量は全くありませんでした。時代とともにフロッピーの数は増えていき、10枚組のゲームとか普通でした。ロールプレイングゲームをする時は町から出るたびに「フロッピーを差し替えてください」とメッセージが表示されて、読み込みまで30秒以上待たされていました。もちろん町に入る時も差し替えでした。

フロッピーディスクが出た頃から、OSという物が重要になってきました。それまでのOSは端末に最初からインストールされているものが殆どでした。メーカーが異なればOSも違う。メーカー間の互換性は一切ない。そんな時代でした。メーカーは新しいモデルを出すたびにOSをカスタマイズしてきましたが、様々なメーカーのフロッピーディスクに対応するのは困難でした。

そこでIBMはDOSという、ディスク・オペレーティング・システムを開発しました。ディスクのIOを一手に引き受けるOSです。このDOSの登場により、メーカーや開発会社はそれ以外の部分に注力することができるようになりました。

どこかで見たことある画面ですね。Windowsのコマンドプロンプトの画面です。マウスが登場するまでは、この画面でコマンドを打って操作していました。表示されているのはファイル名(8文字)と拡張子(3文字)です。エクスプローラーなんて便利なものはなく、すべてこのプロンプトから実行していました。

DOSはIBMの提供するPC-DOSと、そのOEM版のMS-DOSがシェアを争っていました。この競争に勝ったMicrosoftは、DOSの次のOSであるWindowsの提供でさらにパーソナルコンピュータのOSシェアを拡大していきます。

 

待望のHDD(ハードディスクドライブ)

フロッピーディスクの弱点は容量の少なさでした。時代と共にコンピュータの扱うデータは大きくなっていきました。日本語を扱うためのドライバを組み込むだけで大量のデータを必要としました。そこでフロッピーディスクを大きくした円盤を何枚も組み合わせて読み書きできる仕組みができました。ハードディスクです。

仕組み自体はフロッピーとあまり変わりませんが、大容量と高速なアクセスでたちまち大ヒットしました。

高校3年生の時、当時はインターネットなど無かったのでPC雑誌の広告を見て電話注文したりしていました。雑誌の広告で100MBの外付けHDDが10万円を切る値段で販売される大売出しがあったので買いに行きました。実家から大阪までの往復バス代と宿泊費、食事代等も含めると15万円程度かかりましたが、その当時では破格の値段だったので貯金を下ろして買いに行きました。フロッピーディスク70枚の容量は当時としてはものすごい容量でした。何をインストールするか頭の中は100MBの容量計算ばかりしていました。

現在はハードディスクは大容量化、小型化されどんどん高機能かつ安価になってきています。またSSDなども登場してさらに高速化しています。

 

まとめ

いかがでしたでしょうか? 今はHDDが主流ですが、ちょっとひと昔前になるとFDDやカセットテープの時代でした。紙テープの時代から磁気ドライブになったのは、数々の失敗や改善の賜物です。 アイデアは突然生まれることは少なく、何かのきっかけで考えることから生まれます。一からアイデアが生まれることは少なく、何かを参考にしたりきっかけは様々です。

「あ、困ったな。何かいい方法はないだろうか?」

こんな時は使えそうなアイデアがないか周りを見渡してみるのも良いかもしれません。

About the author

バスクリン

GCの中で好き放題に技術的なメルマガを書いている人。プログラム歴は今年で27年目に突入。普段はシステム技術者として設計やらプログラムを自由に書いてます。好きな言語はC++、C#。

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